執筆活動

2009年人それぞれの個性が輝く生き方をテーマに「Tokoのひまわり通信」発行。また、祖父の介護経験やモラル、番組でご一緒したパラリンピック金メダリスト成田真由美さんから学んだこと、海外の視察研修、プロの演奏を高齢者施設に届けるボランティア活動でのエピソードなどを紹介する執筆を行っています。また、ご依頼を受けCMコピーや雑誌などの執筆を行っています。

執筆履歴

★すいぐん1000執筆履歴
月刊誌「すいぐん1000」に2004年から寄稿しています。
東京・大阪の国立国会図書館で閲覧できます。

  1. すいぐん鶴亀会
  2. 私の原点
  3. 私の祖父・前編
  4. 私の祖父・後編
  5. 祖父の最期から
  6. 食事でみた介護
  7. 認知症
  8. 地域で看る
  9. メリハリのある1日を
  10. 県の高齢者の為の福祉行政
  11. 施設選び
  12. アメリカを訪ねて
  13. グループホームの試み
  14. 本当のバリアフリー
  15. スウェーデンを訪ねて
  16. 心の目
  17. 思いやり介護
  18. ボランティアと私
  19. 備えは早めに
  20. 元気な高齢者
  21. 健康は足元から
  22. 高齢者の防災対策
  23. 大切なひと声
  24. 老人ホームを訪ねて
  25. 100まで生きる
  26. 訪問介護のススメ
  27. 一念一行仁恕を本となす
  28. ダイヤモンドクラブ
  29.   
  30. 私にできること
  31.   
  32. 高齢者の皆さんへ
  33.   
  34. 下の世話
  35. 最期にできること
  36. 世界で一番美しい国へ
  37. 手紙
  38. 排泄機能指導士
  39. 長寿の秘訣
  40. 車椅子は身体の一部
  41. 点字ブロック
  42. 熱中症対策

(2010年7月現在)

★広告など
季刊広告「ファインズ・バリュー」やパンフレットのモデル兼リポーターを2006年から担当しています。


▲季刊広告ファインズ・バリュー

★その他
音楽雑誌「オリコン」、東横タウン情報、かわさきタウンウィークリー、よみうりニュース、ヴェルディ新聞、ロータリー新聞、東横タウンニュース・フレッシュインタビュー、日本経済新聞、茨城新聞、読売茨城タウンニュース等に宮下敏子の活動が紹介されました。

日経住宅サーチで、『武蔵小杉 期待ふくらむ、進化する舞台』で、街匠として紹介されました。


みゅーずnetで、女性起業家の対談で、介護のお話やフリーアナウンサーになった時のお話などをしました。


東横ライフ・Freshインタビューでは宮下敏子の介護への想いが紹介されています。
内容はここをクリックしてください


平成17年7月発行「れいろう」
宮下敏子の執筆が掲載されています。
心に残る話『祖父からの贈り物』掲載

執筆事例

Tokoのひまわり通信


季刊情報誌“Tokoのひまわり通信”では賛助会員を募っています。
会員になられますと団体名、広告、お名前などをご紹介(最高年4回)させていただくほか、情報誌を毎号(4、7、10、1月)ご郵送致します。

<お申込み方法>
お名前、ご住所、お電話番号、メールアドレスをお書き添えの上、メールでお申込みください。
 ● 会費:一口1,000円〜(何口でも可)
 ● MAIL:info@miyatoko.net 

孫がみた老人介護2:私の原点 (すいぐん1000、2004/6月号より)

 私には忘れられない幼い頃の風景があります。それは、今から20年以上前、私の故郷の街道沿いの歩道を黙々と箒を持ち掃除する小柄なお爺さんの姿です。その人の名は小林義一さん。83才で亡くなるまで約15年間、ボランティアで歩道500メートルの掃除を毎日行っていました。
 小林さんが掃除を始めた頃は、この街道が唯一の生活道路でした。車が沢山走る横で、小林さんは埃まみれになりながら草を毟り、ゴミを拾っていました。
 小林さんは一時、体を壊し入院することもありました。しかし、退院後はマスクを着けて掃除を続けました。綺麗に掃除された道は、とても気持ちが良く、地域の人達がその道を通る時には、小林さんに「ご苦労さまです」と感謝の言葉を掛けていました。その心温まるひとコマの風景は今も私の記憶に深く刻まれています。死ぬ間際まで誰かの役に立ちたいと働いた小林さんの姿に私は多くの事を学びました。
 私が老人介護に取り組む原点は、小林さんのように世の中に尽くしてこられた高齢者の皆さんへ尊敬や感謝の気持ちを表したいと思うからです。

孫がみた老人介護:100まで生きる(すいんぐ1000、2008年/3月号より)

 「100まで生きる。」あなたが父や母からこの言葉を聴いたとき、どんな気持ちになるのでしょう?
私の祖父は「100まで生きる」が口癖でした。
祖父は、92歳で老人ホームに入るまで離れに一人で暮らしていました。そして、晩年は認知症の症状がありながらも最後まで、ご飯だけは自分で炊いていました。「トッコ。100まで生きるぞ。自分で出来ることは自分でする。迷惑は掛けない。」と目を輝かせて言う祖父に、私の目標も「祖父を100まで長生きさせること」でした。贅沢ひとつせず、ただただ「100まで生きる」ことを励みにしていた祖父。明治生まれの祖父の生き方や精神は認知症の症状があっても輝いて眩しく見えました。
その祖父が「100まで生きる」と一切言わなくなったのは有料老人ホームに入った日からでした。2日目に訪ねると天井を指差しながら笑顔で「トッコ、長生きしろよ。おじいさんは、もう先が見えてきた。」と言いました。私はこの言葉を聴いた時、とっさに涙が流れました。そして、慌てて涙を流していることを知られないように笑って見せました。この日、この言葉で、祖父が生きることに区切りを付けた事を知りました。
 白いベット、白い壁、看護師、ヘルパー、味気の無い食事、昼間の入浴、オムツ、身体に合わない車椅子、睡眠導入剤。「仕方が無い」という周りの雰囲気に呑まれ、最期の瞬間まで「生きたい」と願う人達、支える人達が多くの我慢を強いられている現実に心が痛みます。
 あなたの命があと少しだと知ったら、あなたは何を望むのでしょう?あなたの家族は何を願うのでしょう?人は皆、その時が来て初めて「仕方が無い」で済まされないことが沢山あることを知るのかも知れません。

孫がみた老人介護6:食事でみた介護 (すいぐん1000、2005/1月号より)

 神奈川県内のある老人ホームの食事は、利用者が好きなおかずや主食を自分で選んで食べるビュッフェスタイルが取り入れられている。更に、「何が食べたいか?」認知症の皆さんにアンケートを行い、「寿司が食べたい」などの要望を寿司職人に来ていただく等、積極的に取り入れている。
 私は、国内外の施設を数十カ所訪ねた経験を持つ。この経験で1番驚いたのは 冷たい食事を配膳する有料老人ホームがあったことだ。食事の介助をして初めて食べ物が冷たいのに気づき驚いた。予算の関係で おかずなどを温める機械が購入できないのが原因だそうだ。次に驚いたのは、お椀の中のご飯の上に全てのおかずやデザート、薬が乗せられ、それを食していた片麻痺の方を見たときだ。病院での出来事である。
 弱った体に冷たい食事、どんな味がするのか?1つのお椀にスプーンを運ぶ病気の高齢者。認知症の方々も意思がある。何十年にも亘る生活習慣がある。介護の意味は何か?介護する側、される側どちらに基づいたシステムか?高齢者の思いは受け入れられているのか?私は私自身やあなたに問いたい。なぜなら介護現場には私達の心の問題が一番映し出されていると思うからだ。

孫がみた老人介護7:認知症 (すいぐん1000、2005/3月号より)

 痴呆という言葉が「愚かである」などの意味があるとして、2004年11月、厚生労働省が痴呆症の新しい名称を「認知症」とすることにした。この名称変更の背景には「新しい痴呆ケア」、つまり認知症の方々の尊厳を守り、安心して生活出来る環境を提供しようという考えがあると言われている。
 つい先日、県の「みんなの人権メッセージ」という冊子を拝見し、ある男の子の寄稿が目に止まった。それは、病院に入院したときナースコールをすると看護師さんが直ぐに来てくれて安心した。その経験から、今度寝たきりの曾お爺ちゃんが僕を呼んだら優しく答えてあげたい。という内容であった。
 認知症の方々を支えるものは「安心感」。認知できないという症状は有りながらも心は言葉やその場の状況を感じている。だから介護をする上で大切なのは心と心の繋がりである。私が祖父を介護していた時、「どうせ分からないから・・」という言葉や態度を目にしたことがある。接する人達の「優しい笑顔と心」こそが認知症を解く鍵ではないか?と思っている。

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